聖書と発達障害と遠足と

 ときどき、聖書の教えを伝えようと、家に訪れる人がいる。私は別に、信者ではないけれど、強引に勧誘しようとするのではなく、ただ話を聞いてもらいたいだけのようなので、時間のあるときは、話を聞くこともある。

 

 その中で、「知識の実」の話について紹介されたことがあった。昔、アダムとイブが、神に決して食べてはいけないと言われた実を、へびにそそのかされて、食べてしまい、エデンを追放されてしまった話だ。へびは、その実を食べると知識を得て、神のようになれると、言ったらしい。

 

 実を食べた二人は、知識を得ることはできたが同時に、不安や恐れ、悲しみといった負の感情を知ることになり、永遠の命も失った。

 

 この話を聞いて、当時子どもの言葉の遅れについて、指摘され悩んでいた私は、少し気持ちがラクになるのを感じた。

 

 近頃は、支援学校や支援級に行く子が増えていることや、学力の低下を問題視する話をよく聞く。しかし、それは本当に良くないことなのだろうか・・・

 

 この前、個別支援級の遠足があった。2年生になった長男は、上機嫌で出かけて行ったが、あとから水筒を忘れていることに気づいた。何度も忘れないようにと、声をかけたのにと思いながら、届ける算段を考えた。はじめは、学校まで届けることを考えたが、後から途中の道で渡せば、時間も少し遅くていいし、距離も近いと思いついた。

 

 狙い通り、歩いている途中の息子に水筒を渡し、過ぎ去っていく集団を後ろから眺めた。人数は30人を超えるらしい。きっと知らない人には、個別支援級だとは分からないだろうと、なんとなくうれしかった・・・