天職を考える

 小学校のクラス文集に、「将来は花屋さんになりたい。」と書いたのを覚えている。おそらく、花が好きだと言ったら母から、「じゃあ、お花屋さんになったら?」などと言われて決めたのだろう。

 

 子どものときに花屋さんに憧れる子はたくさんいるが、だんだんいろんな理由で変わっていき、実際に大人になって花屋で働くようになる人は限られているかもしれない。

 

 

 実際働き初めて、毎日花にふれることができ、楽しい気持ちはあった。自分に合っている仕事だとも思っていた。しかし一方で、経営していくことの難しさを目の当たりにしたり、ベテランのスタッフさんと自分を比べて、届かないという気持ちを感じたりもした。

 

 失敗して怒られるということも、もちろんあった。ときには、なっとくできない理不尽なこともあった。でも、まだ自分は学ぶ時期なのだからと、気持ちを抑えて従っていこうと思っていた。

 

 

 この抑えていた反発心。我慢するのが世渡り上手であるという場合もあるが、私の場合いづれ爆発してしまう。「どう考えても、相手が間違っているし、もう限界だ!」という状況に陥ってしまうのだ。そして、この気持ちを感じることがないところへ行きたいと思うようになった。

 

 そのためには、自分が上に立つか、上下関係のない仕事をするしかない。新しく入った職場で、出世していき上司がいない立場になるのは簡単なことではない。また、誰かを蹴落として自分がのし上がりたいというのとも、違う気がした。

 

 花に関わる仕事がしたいとは思いつつも、何かが違うと感じもした。そういった中でふと、自分は「教える」ということが好きであるということを思いだした。後輩に仕事を説明して、相手が上手くいくことがうれしかった。人と接している仕事の中でも、ただものを売るというのではないものを求めている気がした。

 

 町を歩いてみては、「ここだったらいい、何かお教室を開くのにいいな。」とか考えている自分がいることに気づいた。

 

 人が楽しめる場をつくりたい。本当に癒されるために、必要なことは何か?

イメージがまとまってきた・・・